- 原文
- Famous Red Decks in Magic History
- 著者
- Alex Shvartsman
- 訳者
- 高潮の翻訳者 ◆xDyofgL33k
- 投稿日
- 2004-07-30
- 更新
- 2004-07-30
赤いデッキは、多くのプレイヤーにとってちょっと特別なデッキじゃないだろうか。ウィニーであれ、土地破壊であれ、コントロールであれ、フル・バーンであれ、大抵の人は一度ならず《山》の魅惑に負けて、赤いデッキを手にしたことがあるだろう。
史上最も成功をおさめた――私の考えるところでは最も重要でもある赤いデッキは、「スライ」だ。このデッキには小さくて安いクリーチャーと、直接火力が詰め込まれている。このデッキの原型は、「マナ・カーヴ」という概念を、マジックというゲームの戦略の中で重要な位置付けに押し上げたという点で、極めて重要だ。マナ・カーヴというのは、数学のマジック的な応用で、ゲーム中の各ターンに生成できるマナをできる限り多く使い切るために考えられた。そのために、具体的には、デッキには1マナ、2マナ、3マナ……の各コストの呪文/クリーチャーが、それぞれ一定の割合で含まれている必要がある。ほんものの「スライのデッキ」は、以下のような割合で呪文/クリーチャーが含まれるように、デザインされていた。
このデッキはポール・スライの名に因んでいる。1996年4月21日、アトランタで行われたプロツアー予選にこれを持ち込んだ人物の名前だ。スライがこの予選で優勝した、と伝えられていることが多いが、実際には決勝で《ネクロポーテンス》デッキに負けて準優勝に終わっている。その予選の主催者は、翌週、ある掲示板に大会結果を投稿する際に、「未だに僕はこのデッキがこんな成績を残せたことが信じられない。でも、ほんとに準優勝したんだ。たぶん数学が役に立ったんだ!」というコメントを残している。
実際、スライのデッキには、それまでトーナメントのトップ卓では決して見かけることのなかったカードがいくつも入っていた。
注意しておきたいのは、このデッキが使われたフォーマットでは、「使用可能な全てのエキスパンションからそれぞれ5枚ずつカードを使ってデッキを構築する」というルールになっていたということだ(このルールは、最初のプロツアーと、それに続いて行われた第2回のプロツアーへの予選で用いられた)。
デッキ名の由来はポール・スライだが、デッキ自体を作ったのはジェイ・シュナイダーだ。シュナイダーはアトランタを拠点とするデッキ構築家で、当時インターネットで活躍していた人気ライターだった。数々の実績を残したデッキの作者であり、新しいエキスパンションが出るたびに革新的な戦略を発明していたが、その中でも「スライ」は最高の作品だった。
まったく“紙の束”にしか見えなかったこのデッキだが、みんなすぐにスライとシュナイダーがこのデッキに辿り着くに至った何かに気付いた。「スライ」デッキの複製と変種たちは瞬く間に広がり、メタ・ゲームを支配していった。ミラーマッチのために《クークズの番人》を入れるデッキまで現れたほどだった! 人によっては3色から5色にも及ぶ「スライ」を作って、《ハルマゲドン》や《デレロー》のような他の色のパワーカードを散らしていた。
その1996年以来、「スライ」デッキはメタゲームの中で生き残り続けたが、中でもテンペスト・ブロックの投入は「スライ」を非常に強力なデッキに押し上げた。《呪われた巻物》《ジャッカルの仔》《モグの狂信者》はこのデッキのためのカードだったし、《不毛の大地》はほとんど痛くも痒くもなかった。あまりにも赤に強力なカードが揃っていたので、テンペスト・ブロック構築では「スライ」は一番有名で一番強いデッキになっていた。
当時既にプレイヤーとして、また「ドージョー」や「デュエリスト」誌でのライターとしても著名だったデイヴ・プライスが、初めてプロツアーを制したのも、このデッキだった。98年のプロツアー・ロサンゼルスでのことだ。そこら中《山》だらけの環境だったが、それでもプライスは勝ち上がった。この頃から、「スライ」と呼ばれるデッキは、ボード・コントロールの要素が薄れて、よりビートダウン一辺倒のデッキに変化していることに注意しておこう。
「スライ」がプレミア・イベントで再び脚光を浴びるのは、2000年のエクステンディッド・シーズンに行われたプロツアー予選だ。ニューヨークの、ちょっぴり《山》の誘惑に弱いデッキ構築家セス・バーンは、「スライ」を大きく発展させた。バーンの作った「スライ」の中で一番成功したのはこのフォーマットだったが、ジェイ・シュナイダーと同じく、本人は実績をあげることができなかった。セスの提供してくれたデッキで、私自身もGPシアトルでトップ8に入っている。残念ながら優勝したボブ・マーハーに負けてしまったが。このシーズン、私はさらにそのデッキでGPのトップ8に2回入った。「ネクロ・ドネイト」が醜い首を突っ込んで来なければ、「スライ」はそのシーズンで最も結果を残したデッキになっていたかも知れなかった。
赤いデッキを作る上で、「スライ」は長らく第一の選択肢の座を守っているが、一方でスライ以外の構築もたびたび試みられ、成功を収めたものもある。その中で「スライ」に一番近く、なおかつ違うデッキとして論じるべきものは「ポンザ」だろう。mtg.com のライターだったエイドリアン・サリヴァンたちが作った「ポンザ」は、軽いクリーチャーによるビートダウンを、「スライ」における重い火力の代わりに土地破壊呪文と組み合わせたものだ。ものによっては軽いクリーチャーがぎっしり入っているが、クリーチャーが非常に少なく、コントロールと言っていい構成になっているものもある。ポンザが挙げた最高の成績は、クリス・ベナフェルが 2000 年の全米選手権で2位に入ったものだろう。
もうひとつ、歴史的に重要な赤単デッキを挙げるとすれば、ジョン・オーメロッドの「レッド・デック・ウィンズ」(あるいは 「RDW」、「レッド・デック・ウィンズ 2000」、「RDW2K」、などなど、まあ好きなように呼んでください)になるだろう。オーメロッドは大変優れたデッキ・デザイナーで、ズヴィ・モーショヴィッツやカイ・ブッディといった面子とも組んだことがある一方、今年のイングランド選手権ではプレイヤーとして優勝している。「レッド・デック・ウィンズ」が初めて使われたのは、2000 年のイングランド選手権で、プレイヤーはダン・パスキンズだった。そのデッキは同年の欧州選手権と世界選手権でもそれぞれ上位に食い込んでいる。シグルド・エスカラントが欧州選手権で使って、トップ16に入ったデッキを下に示しておこう。
その後、ダン・パスキンズ(今週の mtg.com の注目記事も書いている)は「レッド・デック・ウィンズ」デッキの第一人者になった。パスキンズは毎年毎年このデッキに改良を重ね、いかにして《山》入りのデッキで勝つかに執念深く取り組んだ。
だが、赤いデッキにおける最新の革命は、ダン・パスキンズではなくヴォルフガング・エダーがグランプリ・アントワープに持ち込んだ、ゴブリン・デッキに黒を散らして《総帥の招集》を入れる、というものだろう。エダー自身は目覚ましい成績ではなかったが、それでもトップ16に入り、これに日本人プレイヤーたちが目をつけた。日本人たちは数週間後のグランプリ・バンコクにこのデッキを持ち込んでトーナメントを席巻し、このデッキは世界的に注目を集めることになった。こうして「ゴブリン召集」は生まれ、今に至るまでトップレベルのデッキとして生き残っている。先週にも、オリヴィエ・ルーエルがこのデッキを使って、フランス選手権を勝ったばかりだ。(ゴブリン・デッキについてもっと詳しいことを知りたい人は、水曜日に掲載されたブライアン・デビッド=マーシャルの素晴らしい記事「ゴブ=ボリューション」も是非読んでみてください。)
フランス人プレイヤーは今週のテーマが「赤」だったことを知っていたに違いない! ルーエルは「ゴブリン召集」で優勝し、準優勝のナシフは赤単の土地破壊デッキを使っていた(「ポンザ」と呼ぶ人も居るかも知れない)。そのふたりと、もうひとりやはり「ゴブリン召集」を使っていたアレクサンドル・ペセが、今年のフランス代表チームに選ばれた。トップ8に入ったうち6つのデッキまでが、赤単色若しくは赤をメインにしたデッキだった!
新しい年が来ればフォーマットが変わって、個々のカードも入れ替わる。なのに、毎年のように赤単デッキがどこからともなく現われて、確立されてなんの意外性もないと思われているメタ・ゲームをぶっ壊して大暴れする。マジックにおいて、もうこれはお約束になっているようにさえ思える。今年の世界選手権では赤いデッキが勝つだろうか? もしそうなるとすれば、それはここに挙げたような伝統的なデッキだろうか、それとも全く新しい、今は誰かに発見されるのをじっと待っているデッキだろうか? ともあれ、プレイヤーたちがどんなデッキを持って行こうとも、今年の世界選手権のスタンダードでは、数多くの《山》がセットされるだろうことには、賭けてもいいだろう!
当ページは、2ちゃんねるの卓上ゲーム板「MTG Sideboard Online 日本語版」スレッドに投稿された記事を、426(braingeyser-lj@infoseek.jp)がまとめたものです。