- 原文
- Concepts of Magic: Card Advantage
- 著者
- Andrew Johnson
- 訳者
- 高潮の翻訳者
- 投稿日
- 2002-08-05
- 更新
- 2004-09-15
第一回目を読みのがした人は15-25で読める。さて、本題に入る前にWizardsの掲示板にあったいくつかの投稿に応えておこう。
いい記事だと思うけど、作者の意見には同意できない点がある。「負けたならそれは自分の責任だ」という主張だ。僕は運の要素は絶対にあると思う。
個々のゲームでは、運はとても強い要素で、マジックにおいてはライブラリからカードを引くというルールがなくならない限り、運は重要であり続けるだろう。またもちろん、コイン・フリップという奇妙なルールも、このゲームにはあるし(ほとんど意味はないけど……)。
マジックに乱数の要素があるのは否定しない。カードはとどのつまりシャッフルしたデッキから引いてくるわけで、この要素のおかげでマジックでの勝利の価値がおとしめられている面はあると思う。この世には他人より乱数要素に影響されやすい人とかされにくい人とかはいないのだから、結局乱数の影響は無視して考えても構わない。ただ、プレイや決断に関係してくる確率の概念を頭に置いておければ、もっとゲームが面白くなるのは確かだ。
いずれにしても、もし「完全に正しいプレイ」をすれば75%のゲームに勝てるのだとしたら、それは「誰がやっても」75%勝てるということだ。自分が運が好いとか悪いとか思ってるんだったら、早速その考えは改めなさい。でなきゃこの文を読むのを止めた方がいい。そんな人には以下の文章は何の意味も持たない。
考えるに、プレイヤーが自分のプレイングを分析する上で、負けたゲームを「運がなくて負けた」と片付けてしまっているうちは、そのプレイヤーはいつまで経ってもある程度以上は上達しないだろう。運の要素は、多くの人に完全に誤解されている。「奴は〜をトップデッキして勝った」という科白はよく聞くし、PTニューオーリンズに於けるKai Budde対Tomi Walamiesの記録的な勝負にすら、Kaiは「幸運にも」《変異種》をトップデッキしたんだと言う人が居る。こういう物言いは正しくない。あの試合でKaiの代わりに席について勝てる人間は世界中に一握りしか居ない。Kaiはあの試合を通して、もっとも多くカードを引くためのプレイングをずっと続けていた。だからこそあそこで《変異種》を引くことができた。この点については、後ほどこの記事でもっとじっくり掘り下げてみよう。
素晴らしい記事でしたが、以下のくだりはよく意味がわかりませんでした:「これは全くのたわごとだろうか? Jon Finkelが南部から来たGary Wendelhavenに負けるなんてことは」
南部の皆さんごめんなさい。マジックが強いと思われてない土地だったらどこでもよかったんですが。例えば筆者の出身地テキサスなんてのはまさに条件にぴったりだ。Gary Wendelhavenってのはもちろん作った。
僕はインヴェイジョンからマジックをやってきて、当然何度となく負けています。ミスをして負けるたびに、僕はそのミスを絶対に二度としないようにつとめ、自分がなすべきだったプレイ、あるいはするべきじゃなかったプレイを学んでいます。そんなわけで、僕はミスをしないし、ベテランのプレイヤーからも一目置かれてます。あらゆるゲームにおいて、ミスをしないということは、負けることを考えないことと並んで、重要な目標ではないでしょうか。
ふたつほど言っておきたい。まず、あるミスを絶対二度と犯さないなんてことは不可能だし、全てのミスから必ず何かを学ぶということもまず無理だろう。ゲームを学ぶ者として、ミスから学び二度とそのミスを犯さないというのは理想だが、毎度それを実行するのは超人の業だ。そして、誰しもミスは犯すものだ。もっと言えば、あらゆる人は、1試合に一度はミスを犯している。「一試合中完璧なプレイングを通した」なんてのは筆者にはとても信じがたい。まして「トーナメント中完璧だった」なんて言われた日には、頭がおかしいか、おそろしく自信過剰か、その両方かと片付けざるを得ない。
どう考えてもこのゲームの達人ではない私が言うのもどうかと思いますが、この世には「好いシャッフル」と「悪いシャッフル」があると思います。
問題は、無作為なものに好いとか悪いとかがあるのかということ。強いて言えば、最悪のシャッフルってのはマリガンすべきところでしないこと、だ。
Jon Finkel 対 Kai Budde 。
ふたりとも最強のプレイヤーと言っていいだろう。だったらこの二人が同じデッキを持って対戦したら、どちらが勝つか――。ドローの好かった方が勝つだろう。違いますか?
ここで世界クラスのプレイヤーを例えに持ってきたのは面白い。特にJon Finkel。ただ、こんな有名人の試合でも、我々凡百の試合でも言えることは同じで、ミスが多かった方、あるいは致命的なミスをした方が負ける。ましてこの顔合わせならまず5ゲーム・マッチだろうから。具体的な例を三つ挙げよう:まず、Jon FinkelとBob Maher Jr.の「ティンカー」対決。試合の行方は1ゲーム目にBob Maherが《崩れゆく聖域》で犯したミスで決まった。次に、Bob Maher対Brian Davis、1999年のPTシカゴ決勝戦。Brian Davisは5ゲームとも勝てるチャンスがあったのに、勝ったのはBob Maherだった。そして、筆者とKai Budde、昨年の世界選手権セカンド・ドラフト。これは筆者が2ゲームとも勝てる可能性があったが、ひとつは攻め過ぎて、ひとつは消極的すぎたために落としてしまった。ここで筆者の例を持ち出したのは、大抵の場合は敗因と言うのは微妙なもので、当事者でないと判らない場合が多いからだ。
とにかく、ここで挙げた全ての例で、相手よりすぐれたプレイヤーが勝利を収めている。直接的な要因は小さなミスだったり、単なる威嚇だったり、純粋に総合的なプレイング技術が上回っていたことだったり、様々だが。
残りライフの価値についての議論をしてみよう。パーミッション・プレイヤーがバーン・デッキと対戦しているとする。青使いは残りライフ5点で、手札には《対抗呪文》が2枚ある。ここで、赤使い(手札は4枚)は青使いのターン・エンドに《火炎破》を打ってきた。場や墓地などその他の状況は考慮しないとすると、これは当然青使いは《火炎破》を打ち消すべきだ。もし、4点を甘んじて受けてしまうと、様々なカードが一枚でゲームを決められる強いカードになってしまうからだ。例えば《ショック》や《炎の印章》や《モグの狂信者》辺りが。これが「カード・アドヴァンテージ」の好い例だろう。
この連載の概略をおさらいしてみよう:
パーミッション対バーンの話に戻ると、これは対戦相手がカード・アドヴァンテージを提供してくれたことになる。4ライフ払えば、カード一枚丸儲けということだ。ただ、この状況ではセーフティーを選ばなければならない。後になればこのライフはもっと高値で売れるかも知れないからだ。例えばこの4ライフが《ショック》2枚と引き換えになる可能性もある。しかしそれ以上に、今は死にかけているわけで、喰らっている場合ではない。もちろんこれが17点から13点へ下がるだけというのであれば、カードを得する方を選ぶ一手だ。
カード・アドヴァンテージは三つのカテゴリーに分けられる。ひとつは、ゲームに実質的な影響を及ぼすこと(以後「実利」としよう)。《ジャッカルの仔》《機知の戦い》《排撃》《冬の宝珠》などのカードはこれに入る。ふたつ目は、カード数を稼ぎ出すこと。《Hymn to Tourach》や《集中》といったカードの役割だ。そしてみっつ目が、カードを選ぶこと。《頭脳集団》などはこれに入る。ゲーム中、これらそれぞれの間で取り引き、あるいは交換ができる状況が何度も訪れるわけだが、例えば《マーフォークの物あさり》の起動何回分が、カードを一枚引くことと等価になるのかを定義することは非常に難しい。
カテゴリー間での等価交換に関する分析はおいておくとして、とにかくこの三つともが、長い目で見れば、より多くのカードをもたらしてくれるのだということは頭に入れておくといいだろう。実際に、ある戦略に基づいてデッキ構築をして、そのデッキでプレイをする上では、その戦略がもたらしてくれる何らかの形のカード・アドヴァンテージが勝利につながっている。以下にみっつのデッキと、そのカード・アドヴァンテージの形を示そう。
一番解りやすい例が、古式ゆかしい「ドロー・ゴー」デッキだ。このデッキには打ち消し呪文が山ほど詰め込まれていて、相手の脅威を1対1交換で取り除いていく。一方、打ち消し呪文のためにスロットがほとんど埋まっているから、勝ち手段はごく少ない枚数しか入っていない。たとえば《虹のイフリート》2枚だけ、とか。そして、デッキは《ミューズの囁き》で、自分の(豊富な)マナのみから、カード・アドヴァンテージを稼ぎ出す。言ってみれば、純粋な物量作戦だ。
二番目の例は、赤のいわゆる「スライ」デッキだ。このデッキもまた純粋にカード・アドヴァンテージで勝つと言えるだろう。別に他の言い方がないわけではないのだが、マジックのあらゆるゲームはカード・アドヴァンテージという視点から分析できるので、こう言っておけば都合がいい。
「スライ」デッキは、全部のカードをできるだけ早く使い切るように作られている。「ドロー・ゴー」デッキが勝つ時というのは、相手の手札が空っぽで、場にもクリーチャーが一体だけで、一方で「ドロー・ゴー」使いはまだ2枚手札を抱えてる、といった状態になる。「スライ」が勝つ場合は、大抵まだ対戦相手は何枚か手札を抱えたままであることが多い。つまり、マナ・コストの高い呪文を使うための土地を並べるのに必要なターンを与えないことで、手札にあるカードを無駄にさせているわけだ。これは相手のドロー・ステップ(訳注:原文だと'draw phases')のいくつかをなかったことにしているのに等しい。実際にそんなことができれば、それは勝つだろう。ライフが尽きるということは、もう新しいターンが来ないということで、ターンが来ないということは、もうカードが使えないということだ。「スライ」は、できるだけ早く実利を稼ぎ出すことで、その実利をカード数の得にそのまま結び付けている。手札にあって使えないままだったカードは、初めから引いてないのと同じことだ。もし「スライ」の対戦相手が、終盤での支配権を確立するために序盤でのセーフティーを放棄するような戦略だったら、「スライ」はあっという間に勝ってしまうだろう。《ネクロポーテンス》やペイン・ランドの使い過ぎ、あるいはほんのちょっとクリーチャーを放置することでさえ、「スライ」に対しては時に致命的になることがある。
Jon Finkelを99年の合州国選手権で勝利に導いたMike Floresの黒単「ナップスター」デッキは、カードの選択を戦略に組み込んでいた。デッキには様々なシチュエイションのそれぞれに対する解答となるカードが詰め込まれていた。これもまた、カード数での得に結び付けることができた。大抵の解答は一対一より割のいい交換を狙うことができたからだ。例えば、序盤のクリーチャーに対応できない相手には《ファイレクシアの抹殺者》を引っ張ってくるとか、もっと特殊な例で言えば、「補充」デッキ相手に《ストロームガルドの陰謀団》を出してくる(事実上勝ちが決まると言っていい)とか。
もちろん、これはあまり知られていないことだが、「ナップスター」デッキは実際にはそのカード選択よりも、純粋なカード数を稼ぎ出すメカニズム(即ち《ヨーグモスの意志》)によっている面の方が強かった。構築戦においては、デッキの戦略の中心がカード選択になることは普通あり得ない。構築戦で使われるカードは大抵どれも単純に強いカードだから、とにかくカード数をちょっとでも稼ぐことが一番重要になってくる。「Maher-Oath」デッキには《森の知恵》=《豊穣》エンジンが組み込まれているし、Mike Turianの「リス対立」には《綿密な分析》と《マーフォークの物あさり》が入っている。「ナップスター」では《ヨーグモスの意志》と《迫害》だ。
限定戦では話は変わってくる。一枚一枚のカードは必ずしもそんなに強くない。強いカードと弱いカードの差が大きくなる。だから、《セファリッドの物あさり》は《文書管理人》と同じくらい役に立つ。デッキの中の最強の一枚が、相手のデッキ全てを打ち負かしてしまうこともあり得るからだ。
まとめると、デッキを構築して、プレイするにあたっては、カード・アドヴァンテージを作り出す戦略を考えればいい、ということだ。カード・アドヴァンテージが得られれば、ゲームに勝てる。もちろん、《綿密な分析》を打って、返しのターンに殴り殺された、なんていうのはカード・アドヴァンテージを得たとは言えない。引いたカードは手札に残っていて、何の役にも立っていないからだ。勝つためには前回話した「セーフティー」って奴も、当然考えなきゃいけない。それに、カードを引くだけがカード・アドヴァンテージじゃないってことを忘れないように。例えば、《冬の宝珠》を張ることで――これは実利を得ている――対戦相手は動きが止まり、引いてきたカードが次々に手札で腐りはじめる、なんてことになれば、それは立派なカード・アドヴァンテージになっている。
限定戦での試合を想定してみよう。適当な初手を仮定して、そこから勝ちに向かう手を考えてみる。話を単純にするために、OD/OD/TOのドラフトで、こっちは青黒、相手は青白だとする。「正しい」プレイングができれば、こちらの勝ちだ。後手を選ぶことにしよう。ゲームは長引くだろうし、事故りたくはない。これにはもちろんリスクもある。相手が早い立ち上がりをみせたら、こっちはアンチ・コントロール用のカードを抱えたままとっとと殴り倒されてしまうだろうから。
初手は《沼》2枚、《汚い野犬》《空翼のエイヴン》《占骨術》《夢繰り》《エイヴンの風読み》。この手札なら、考えられるのは速攻のビートダウン。低マナ域のクリーチャーから順番に展開していって、対戦相手のデッキが回りはじめるより先に殴り勝つ作戦。問題は、ドローだ。土地が止まったら話にならないし、少なくとも一枚は《島》を引く必要がある。もし土地あるいは《島》が引けなければ、たちまち場のリソースは不足し、受け身に立たされ、生き延びるためにさらにカードを犠牲にする、という状況になってしまう。それになによりも、環境でもっとも防御の堅いデッキに正面から突っ込む作戦には疑問が残る(あまつさえ後手なのだ)。この手札はライブラリに返してやった方がいいだろう。
次の手札は《島》《沼》《沼》《空翼のエイヴン》《総帥の願望》《セファリッドの物あさり》と、かなりいい感じ。こうなれば作戦はもっとエレガントで、強固なものになる。お役立ちクリーチャーのおかげで、ドローは恒久的により質の好いものが保証されるわけだ。これは白青デッキの弱点をついてもいるし、先ほどよりマナ・ベースもよろしい。これならマリガンした甲斐があったというものだろう。デッキを掘り進んで、ゲームを決めるカードを手に入れる作戦がとれそうだ。
実際にカード・アドヴァンテージがとれるまでは、相手の弱いカードとこちらの強いカードが交換されるような事態は避けなければならない。戦闘でややこしいブロックをされた上に《励まし》を打たれて、こちらのエース・クリーチャーを一方的に葬られるようなことにはなってほしくないし、ダメージ・レースに突入して、《物あさり》で拾ってきた決め技カードを使わないうちに終わる、なんてのも御遠慮願いたい。つまり、戦闘には相手がタップ・アウトしてる時に突入すべきだし、ライフは決め技を持ってくるまではなるべく温存すべきだし、4対2ならともかく2対2のダメージ交換はしてはいけない、ということだ。
ひとたび場を支配することができるか、《占骨術》などを通してカード・アドヴァンテージを稼ぎ出すことができたら、ゲームを決めにかかっても構わない。とっておきの呪文を、相手に止めを刺すために使っていこう。だが、そうなるまでは、セーフティーを守り、なるべく大きな交換が起きないように努めることだ。低マナ域の弱いカードでのやりとりをできるだけ長引かせて、その間にアドヴァンテージを稼ぎだそう。そして、相手が追い上げにかかってきたのを見計らって、ゲームを終わらせにかかるのだ。
では、先ほどのゲームの続きをちょっとだけやってみよう。対戦相手は《島》からスタート。こちらは《島》を引いて《島》をプレイ。相手は《平地》プレイから《秘教の幻想家》を出してきた。こいつはちょっと厄介だが、脅威と言うほどではない。幸運なことに、こちらは次のドローで《幻影の仔》を引いてきたので、即座にプレイする。ここでは《沼》を置いている(こちらのデッキには《陰謀団の拷問者》が入っているため)。次のターン、相手は《幻想家》で攻撃してきたので、ここは喜んで交換に応じる。まだ大きな戦闘には突入したくないからだ。それに、よしんば相手がトリックを持っていたとしても、相手は《幻影の仔》ごときを殺すためにまるまる1ターン費やしたことになる。そうなれば、こちらはテンポが守れたことになる……。
というわけで、次回はマジックに於ける「テンポ」の基礎を解説しよう。実際のゲームで、いかにセーフティーを守る/放棄するか、カード・アドヴァンテージをどのように勝利に結び付けていくのか、といったことを、テンポの概念はよく説明してくれる。何か御意見があれば、掲示板の方に書き込んで下さい。いい投稿があれば、また記事の中で触れていく心算だ。
御意見/御批判はメールでも歓迎。
最終的には、実際のドラフトやゲームについての分析をこの記事でやってみたいと思っている。もし、きちんと注釈のつけられているゲームやドラフトのデータを送って下されば、将来ここでとりあげることができるかも知れません。データは細かければ細かいほどいいです。その方が使いやすいし、使いやすければ筆者もやってみようかと思いやすいから。
当ページは、2ちゃんねるの卓上ゲーム板「MTG Sideboard Online 日本語版」スレッドに投稿された記事を、426(braingeyser-lj@infoseek.jp)がまとめたものです。