- 原文
- Wise Words - Best of the Best
- 著者
- Gary Wise
- 訳者
- タイ屋
- 投稿日
- 2002-07-30
- 更新
- 2003-06-29
野球のオールスターゲームがもうじきある。「オールスターゲーム」についてよく知らない諸君のために解説しておこうか。アメリカのプロ野球は2つのリーグがある。で、それぞれの前の年の優勝チームのコーチ陣の指揮の下、リーグを代表する最高の選手を集めたチームが、一試合だけ特別試合をするんだ。そいつは、最高のピッチャーとバッターの夢の対決といったドラマ(しかも一試合かぎり)に代表される、とても楽しくて豪華なショウだ。(出場している)最高の野球選手たちさえも、子供の頃にかえって、自分が最初にプロ野球選手になろうと思ったのはなぜなのかを思い出させるほどの、ね。
オレは子供の頃からずっと、野球に対する異常なくらいの情熱を持っていた。その情熱は、90年代半ば、選手会のストライキでシーズンが早々に終わってしまったとき以来、失われてしまったが。それでも、マジックの振興のためのインスピレーションの源として、野球がゲームの分野でオレに与えてくれた教育を振り返ることはある。今週のワイズ・ワードは、マジックではないゲームが持っている制度についてだ。
オレは先月のあいだずっと、ワールドカップを観ていた。で、オレは悟った。フットボール(サッカーのことだ)に欠けているものは少ししかないが、その内のひとつが、過去のゲームを振り返ってお祭り気分に浸るための、記録された歴史だってことを。
ああ、もちろん、スポーツ年鑑やそれに似たもので調べることができる。ひと握りの、「もっとも偉大な」ゴールは、記憶に残されている。しかし本当に、フットボールは、今この瞬間、「ナマ」のゲームなんだ。
それは、大部分の人にとって十分満足いくだろう。
でも、オレにとっては、そうじゃない。
オレの場合、自分の好みにあわせて、すべての栄光(JU)を目の前に広げて、おもしろくて整理された歴史を味わいたい。
歴史を、口伝えの言い伝えのままにしておくと、物語は必然的に変化する。それが、もはや「歴史」ではないというところに行ってしまうこともよくある。そうなると、それは伝説と呼ばれることになる。それが「野球殿堂」が存在している理由だ。野球がアメリカの、そして近年では世界のゲームになったので、この制度は重要だ。ゲームの歴史、そのもっとも偉大な選手たちと最高のプレー、最高の偉業は、すべてニューヨーク州クーパーズタウンの小さな美しい建物に収められてガラスケースの中に保管されており、世界中から来た誰でもが観ることができるようになっている。
1999年のプロツアー・ワシントンのときに、(オレじゃなくて)もう一人の野球からマジックへの転向者であるランディ・ビューラーが、召集されたマジックの歴史家たちに、次の質問を出した。
「史上ベスト5のプレイヤーというと誰だろうか?」
最初、この記事はアルファベット順にしていた。でも、オレが思うに、 Kai には最初に来るだけの十分な権利はあるだろう。
彼は5回のプロツアーで1位だった。世界選手権1999年、シカゴ2000年、バルセロナ2001年、ニューヨーク2001年とニューオーリンズ2001年。彼は最高レベルのイベントで初めて3回優勝した者であり、4回優勝した最初の存在であり、5回優勝した最初の存在である。彼は初めて3つのグランプリで優勝した人間である。彼は今年のマジック・インビテーショナルと自国の選手権で優勝した。日曜日(プロツアー決勝ラウンド)で15連勝したし、世界選手権とリミテッドと構築のプロツアーで優勝した最初のプレイヤーになった。
しかし、これらの偉業のいずれも、Kaiをこれほど強烈な印象を与える存在にした真の原因じゃない。実際問題、もしどんなプロトーナメントででも、2人以上のプレイヤーが半時間も一緒にいたら、話題は必然的にこのジャガーノートに及んでいることだろう。 他のマジックプレイヤーが驚きとともにただ見ているしかできない時に、彼らには見いだせないことの1つや2つを平然とやってのけてしまう。それがまさしくBudde がやってきたことなのだ。彼は、朝から晩まで毎日プレイすることで、史上もっとも「完璧なマジックプレイヤー」に近い存在となり、ゲームを次の段階へと引き上げた。
プロツアー・ニューヨークの後、つまりKai が過去6回のプロツアーのうち3つで優勝した時だ。ランディ・ビューラーは、依然として、史上最高のプレイヤーはフィンケルだという立場を譲らなかった。Kai がナンバー1になるために何をすればいいのかと訊かれたときの彼の答えは単純なものだった:「ニューオーリンズで勝つことだ」。Kai がそれをやってのけたので、そんな批判的な意見は沈黙させられた。
Kai が現われるまでは、誰かがFinkel をしのいでいるなどという考えは、ばかばかしく思われていた。9度、フィンケルはその信じがたいほどの才能によって、プロツアーの決勝ラウンドに進んだ。この他の追随を許さない数は、もう彼がプレイヤーとして終わったのだという議論にもかかわらず、依然としてフィンケルが史上最高だという論拠になっている。
彼とKaiとの優劣がどれほどかはともかく、ジョンの業績はそれを物語っている。9回の決勝ラウンド進出、1998年のプロツアーニューヨークと2000年世界選手権での優勝、もしかすると史上最高かもしれないほど圧倒的な成績だった、2000年のアメリカ選手権と、2000年のインビテーショナル優勝と、多数のグランプリなどなどなど。ジョンはこれらすべてをやってのけただけでなく、リチャード・ガーフィールドのゲーム上の息子として、マジックの広告塔としても働いた。
ジョンは本当にレガシー(過去の存在)なのだろうか?
彼は永久に、子供たちが、そのマジックの上手さの故に「あの人のようになりたい」と思わせる最初の男でありつづけるだろう。マイケル・ジョーダン、レジー・ジャクソンあるいはジョン・マッケンローがかつてそう思われていたように、子供たちは今、「フィンケルになりたい」と思っている。Finkel の伝説は大きくなりすぎて、ほとんどの人々がその身長192センチの本人を見たときに、それが人間の大きさでしかないことに失望して「もっと大きい人だと思っていた」と言い出すまでになった。
ジョンは今、Kaiがいくつかの点で自分を上回っていることを知ってはいる。しかし、この記事のようなリストに入るのは、このドイツ人と同じくらい確実なことである。今後はそれは難しくなるだろうが。
彼は激しい感情をあらわにしたりはしない。彼にインタビューの場で質問したとする。得られるのは、1単語だけの返事だけ。彼はそれ以上英語に煩わされたくないからだ。彼はよそよそしい態度を取っているし、フィンランドのゲーマー連中とべったりと一緒にいるので、たぶん少々外国人嫌いでもあるのだろう。まあ、それで情勢は把握したということだ。
けれども、静かな外面は Tommi Hovi が次のような存在であるということを意味する。あなたはトラッシュトークを浴びせられることはない。あなたはふざけた仕草で笑わされることもない。彼とマジック以外ではかかわれないし、そしてそれは彼があなたをうち負かす所である。
Hoviがこのリストにいる主な理由は、彼がプロツアーで複数回優勝した最初のプレイヤーだという事実である。2度の世界選手権でのトップ8は素晴らしいし、複数回のインビテーショナルへの出場も、グランプリでの成功およびその他もいい。
しかし、慎重な観察者の心の中においては、ホヴィは「運のゲーム」から「技量のゲーム」への、マジックの変化の象徴として存在している。Tommi がローマで2度目の優勝を果たす以前は、最高レベルのイベントで複数回優勝した人間はいなかった。このことが、マジックは主に運によるゲームであるという理論と、それで生計を立てるという考えはばかばかしい命題に過ぎないということを支えていた。Tommi がローマを勝ち取ったとき、ゲームの最優先事項は技量へと代わり、プロプレイヤーの概念を生み出させた。
まだヨーロッパが概してアメリカに後れをとっていた時に、彼はかなりよいプレイヤーだったという事実も付け加えておこう。
(訳注:うまく訳せなかったので、「you have a more than worthy inductee」という一文を省いてます)
話すべきは多すぎるほどだが、書けるスペースは少なすぎる。Budde と Finkel がゲームの最も偉大なプレーヤーである一方、他の誰よりもマイク・ロングが論争、憶測、討論、侮辱、パラノイア、議論、当惑と驚きをプロツアーをめぐる物語に付け加えてきた。
「私は、自分がマジックのマイケル・ジョーダンだと思っている」ロングは1998年のアメリカ選手権のビデオの中でそう言っている。'His Airness'(ジョーダンのこと)がコート上でそうしていたように、ロングが、ゲームを圧倒的に支配していたかというと、そうではない。しかし、確かにニュースの見出しの上では(ジョーダンのように)大きな存在だった。
歴史におけるロングというのは、噂話のような憶測の中にある。
「偉大なプレイヤー?」
「はい」
「イカサマは?」
「多分」
「悪党なのか?」
「全くそのとおり」
カタベラス・ブルーム(プロス・ブルーム)デッキとロングというように、インビテーショナルの賞品のカードというのはそのプレイヤーと同義語で切っても切れない関係がある。そして、それは彼のレガシーでもある。
たびたび灰色の存在と見なされていたが、逆にめったに捕まることはなかった。マイクはマジックの最初期から最大のストーリーラインを作り出してきたし、その頂点でプレイして来た。彼はプロツアー・パリで優勝した。彼は3回アメリカ代表チーム入りを果たしたし、他に2回アメリカ選手権の決勝ラウンドに進んだ。彼はプロツアーで多数のトップ8入りとトップ16入りを果たしたし、インビテーショナルで優勝した。
マイクは新しいフォーマットの焦点を見抜いて、人よりも早く、そこから最高の成果を得るにはどうすればいいのかという答を出せるだけの上手さがある。また同時に、常にスポットライトの当たる場所に戻ってくる方法を見つけだして、それをやってのける大家でもあるように見える。それらの要因が、その比類なき勝利への意志とともに、彼をこの位置に導いた。
彼はまったく無害そうな存在に見える。あなたがテーブルにつく。おとなしそうで小柄な金髪の少年が、子供みたいな高い声で「ハロー」と言ってくる。あなたは「これは楽勝だね」と思うだろう。しかし、その大人しそうな態度は、ただの策略なのだ。その下には、地球上で最も強大で、最も荒々しい肉食動物のうちのひとつが潜んでいる。そしてその獣が手元に60枚のカードを持っている時、その意志は行動へと転換される。獲物(あなたのこと)が、それに気づく前に、あなたは死んでしまっているだろう。
それが Olle Rade なのだ。
ゲームの歴史の中でも、誰一人、Olleの構築でのプレイに釣り合うだけの、つまり最上の構築戦プレイヤーと呼ばれるだけの記録は持っていない。Radeは5度、構築でのトップ8入りを果たしている。その最初のものは、彼の優勝したプロツアー・コロンバスである。彼はインビテーショナルで優勝したし、プレイヤー・オブ・ジ・イヤーを勝ち取り、地元のグランプリでも勝った。
彼は大声を張り上げたりせずにすべてをやってのけた。おどけた仕草も騒々しい身振りも必要じゃなかった。Radeはプレイするためだけにやって来て、誰が相手でも同じ態度で上手くやった。
プレイングとデッキ構築における業績の他にも、Olleはゲームに対して、ある重要な貢献を果たしている。それは、旧友Tommi Hoviとともに、カードの裏面からそのカードがどのセットのものなのかを見抜いてしまうRadeの能力が、ゲームのもっとも大きな発明の一つに結びついた。つまり、カード・スリーブの制度化である。
それは彼が(そのために)記憶されているというような類のことではないが、しかし Olle のレガシー(遺したもの)の一部として、言及するだけの価値を持っている。
この上位5人の内、以前ほどは複数のプロツアーで優勝することが重要じゃなくなった(やった人間も増えたしな!)ので、Hoviのポジションが一番不安定であるような気がする。
ここからは、リストの狭さのせいでベスト5入りをのがした連中だ。将来の成功で、この上に上がるだけの可能性はある。
複数のプロツアーで優勝したのに、トップ5入りしていない唯一の男。もしDirkの2度目の優勝が、個人戦のトーナメントでなされたものであれば、おそらく彼は自動的にリスト入りしただろう。しかし、彼は(プレイヤーとして活動していた)期間の短さのせいで、ここまで落ちている。
そう確かに、彼は4年前に初出場のプロツアーで優勝したし、依然としてプレイしてもいる。しかし、Baberowskiはマイケル・ジョーダンよりもたくさん引退してきた(訳注:引退して復帰して、の繰り返しという意味だと思われる)。彼の経歴におけるそれらの空白の存在によって、上位5名に入る資格は欠けている。
それでも、彼はM:tGパズルを解く上ではもっとも頭の切れる人間の一人であり、おまけにプロツアーでの3回のトップ8と、多数のグランプリでのいい結果を出してもいる。
その男が賢い(狡い)ということについて意見を言うことは出来るが、事実は事実として認めなくてはならない。クリスは生涯獲得賞金額のトップ5に入っている。そのいくらかは、彼の「技能」(訳注:後述)への異常なまでの執着によるものだろう。彼はゲームのためならば、誰よりも−シュヴァルツマンという名前の人間を除けばだが−長距離の旅行も厭わないことからも明らかである。
(訳注:原文の「craft」には「技能」という意味もあるが、狡猾とか悪知恵という意味もある。ベナフェルとワイズの関係は周知の通りなので、そういう含みもあるのでしょう)
クリスはわずか3年に満たない期間で、結局のところ、物質的な意味でのトップ5になった。しかし、しかし彼がプロツアーを勝ち取るまで、そのメジャーでの1勝の不足が、彼を本当のトップ5入りはさせないだろう。
誰も、自分の方がランディよりもこのリストにふさわしいなどとは言わないだろう。しかし、その人間がポイントを持っている時、その人間はポイントを持っている。(訳注:なんか成語っぽいが、確認できなかったので直訳してあります)
ビューラーは、彼の最初のプロツアー、98年シカゴで優勝することで歴史に名を残した。しかし、本当に目を見張るべき彼の真価とは、その後に続いた注目するべき一貫性である。
Shvartsman が現われる以前の世界では、ランディは明らかな「キング・オブ・グランプリ」であった。また、記事や本を書いたり、ゲスト出演をしたり、あるいは彼の以前にはほとんど見られなかったようなスポンサーシップを整えたりして、プロとしてやっていくことが選択可能なのだということを、見ている誰にでもわかるように示した。
引退したという事実によって、この記事のような討議においては永久に彼は上には上がれないだろう。しかし、彼の開発部門への支配力は、相場師たちが大目に見るのを許してくれるだろう。
(訳注:his ascendance to R&D should help speculators forgive. が、よくわからない。このリストに載っけてもいいよね、ぐらいの意味か?)
アランはこのリストの最下位近くにいる。しかし、彼を除外すると、このリストは不完全なものになってしまうだろう。アランは始まりの時から(今までずっと)マジックシーンにいる。彼のひらめきは単なる人間のそれからはかけ離れたものがある。高レベルのマジックに参加しているが、敬意と楽しさの方を大事にして、賞金はそれほどは気にかけないでいる。
5回プロツアーでトップ8入りした実績が彼をこのリストに導いた。また、その異常なデッキの決定と注目に値するデッキデザインの才能が、ゲームの傭兵たちから彼を引き離している。彼のデザインしたゴジラやターボゼロックスや、もっとも顕著な例であるミラクル・グロウ(などのデッキ)は環境を変化させ、世界中のゲーマーに影響を与えている。
偉人のすべてがはじめからそうだったというわけではない。ロブ・ドーティは、プロツアー・ニューヨーク3でついにトップ8入りした。彼はそれまで6回、手ぶらで家に帰るためにプロツアー出場資格を得ていた。最初は4回連続してそうだった。
ロブが今日では最上のプレイヤーの一人であることが明らかになっているが、一方、彼の成績はその「クラス」には達していないという声もある。が、インターネットで記事を書くことから、世界でもっとも有名なゲームショップの一つ、ユア・ムーブ・ゲームスを運営することまで、彼の行ったコミュニティへの貢献は印象的なもので、それゆえ彼はここに含まれている。
始まりの時より、ロブはたぶん、プレイヤーとしてよりはデッキビルダーとして殿堂入りの候補者ではあろう。しかし、もしあなたが彼の向かいに座っていて、60枚のカードからなるデッキ(通常は彼自身のデザインによるものだ)をロブが手にしていたら、あなたは負けモードってことになる。
5回のトップ8とチームプロツアー優勝というのはかなり良い。それに彼は連続3回トップ8入りという偉業を成しているのだ。スコットはツアーでもっとも愛されている男だというわけではない。しかし、彼のゲームでの多数の輝かしい面を否定することはできない。
彼はインターネットコミュニティに対して巨大な貢献をなした。歴史上、もっとも成功したデッキデザインチームの一つに所属していた。過ぎ去りし日々と現在との空隙とをすぐれて結びつける存在である。そして、史上最有力なチーム、PCLのメンバーでもあった。
彼がプロツアーに勝ちその賞金を得た、注目に値する2000-2001シーズンを付け加えよう。この男は、プロツアーから休むという彼自身の決断によってのみ、そのキャリアは制限されているのだ。
このリストでの、もう一人のPCLのメンバー。マークはそのチームの最高のプレイヤーであると思われていたし、大部分の人間は、フィンケル出現前のゲームでのもっとも偉大な存在だと考えてもいた。
フルタイムのプロのようなものが存在する以前から、ジャスティスはフルタイムのプロだった。店舗を経営する一方でアメリカ選手権で優勝して、2回プロツアーで決勝戦まで進んだのだ。
マークはビッグワン(プロツアー)は勝ち取ってない。また、彼がかつて実行していた方策を認めることで、噂が本当だと確認したという事実が、歴史的に見た場合の彼の業績を傷つけてはいる。けれども、それ以降もそれとほとんど同じことをしている多数のプレイヤーがいたし、彼らのいずれも、皮肉っぽく名前を付けられたアメリカ人と比べられるほどのすぐれた成績を残すことはなかった。
(訳注:ここの文章が示唆している事実が何か、調査することができなかったのですが、そういうことがあったのかもしれません。あるいは単に「ライブラリーにDrain Life/生命吸収が残ってない相手に投了する」とか「Balance/天秤に対応してDemonic Consultationを2回使ってしまう」とかそういうことを指しているのかもしれませんが)
このリストにいる他の人たちのように、ダーウィンは個人戦でのプロツアーのタイトルを獲得してはいないことでベスト5入りは逃している。しかし彼はそれを十分に考慮されてもいいだけのことをしている。
彼はすべての個人戦プロツアーに参加して、多数のトップ8入りを果たした。彼はチームプロツアーで優勝した。GPマンチェスターで優勝した。インビテーショナルで優勝した。プロツアーポイントの生涯獲得ランキングでは2位であり、フィンケルだけが彼を上回っている。
付け加えるに、常に変化し続けているゲームで、インターネットの記事と驚くほど隙のない成績を、多年にわたって残しつづけている。これは、(このゲームにおける)偉人の一人というものだろう。
彼はプロツアーで優勝した。ジュニアで2位になり、他に2回トップ8入りして、そしてアメリカ代表選手になった。
彼はゲーム史上で、もっとも卓越したデッキデザイン能力に取り憑かれた一人である。ゲームの歴史においてより重要だったチーム2つの中核メンバーだった。オンラインと紙の上でのマジックコミュニティを発展させることに莫大な貢献をなした。
自説に固執して、率直で、尊大で、才知に長けていて、洞察に富んでいる、そして通常は間違っていない:それらと千もの他の言葉が、完全に Zvi を説明するためには必要だろう。
学校とその他の現実生活の側面が、近年のスティーブのマジックからいろんな物を奪い取った。しかし、それは、彼がそのキャリアで今まで成し遂げたことを減じるわけではない。
彼は、自分がゲームの歴史での最高のロチェスタードラフトプレイヤーであること証明している。2回、彼はロチェスターのプロツアーの決勝戦まで進んだ。そのうちの一回は、チーム戦での成功を分かち合った、彼の親友でありチームメイトであるジョン・フィンケルを倒して優勝した。
けれども、結局彼は構築戦では結果を残せてないので、ここに落ちている。
プロツアーにいるすべてのゲーマーの中で、最高の本物のゲーマーである、Mikey Pは、悪意に耐え、インターネットが供給する技術的な可能性(ネットデッキ)を避けて、彼自身のデッキをプレイしている。
彼はプロツアーに勝った。彼はマスターズに勝った。彼は2回のグランプリで優勝しており、3回トップ8入りしており、そして(最初のプロツアーの)プロツアー - NY 1の頃からいる。Mikey はグレービートレインから落ちさえしたことがあるほど良くない期間も体験した。事実は事実として認めなくてはならない。
アメリカのタイタン(訳注:ボードゲーム名)チャンピオンはゲームが大好きである:幸いにも、ゲームの方も、彼が戻っているのを好んだようだ。
静かな、非常に静かなこのモンスターは、プロツアーの歴史における最も素晴らしい履歴書の1つを持っている。
彼はプロツアー(ロンドン)で優勝した。彼は他に3回トップ8になった。彼は合衆国選手権で優勝した。何千、何万とクリーチャーを横にしてきた(攻撃のためにタップしてきた)史上最高のビートダウンプレイヤーであるだろう。(すまないね、デイブ・プライス)
彼のゲームへの熱意は最近衰えた。しかしそれは、この前の週末に彼がGPニュージャージーで優勝するのを阻止しなかったし、そして同様に彼が次のチーム戦マスターズに出場することも阻止しないだろう。
劇的な事件と、共同体への貢献(訳注:ストレートに「寄稿記事」なのかも)の欠如とによって、彼はトップ5入りはできないが、このリストのトップ近くにいる。
4回のトップ8と2回のマスターズの優勝。他に言うべきことはあまりない。しかし、事実を見よう。
この男が初めてプロツアーの決勝戦に進んだとき、まだ15歳だった。彼は JSS(訳注:ジュニア・スーパー・シリーズ。15歳以下を対象に北米で開催されているジュニアトーナメント。ただし、プロポイント獲得者は出場できない) でプレーしていることができたはずである。
ルービンはデッキビルダー、ドラフトプレイヤー、プレーヤー、チームメイトであり、もしかするとプロツアー史上最も成熟した子供であるかもしれない。けれども結局、彼をゲームの最高の一人にしたのは、彼の出した結果である。大学がそれにどんな影響を与えるかということは、興味深い。
最初の偉大なワールドチャンピオン、 Jakub は常に、プロツアーの本当にいいやつの一人であり、チャンピオンとしての面目を保っていたし、同時にプロツアー戦争においても成功した。
彼は、競技マジックの進化を助けていた二つのチーム、LegionとMogg Squadのメンバーとして、構築とリミテッドの両方で成功して、1997年の世界選手権で優勝したし、他に2回トップ8入りした。
Jakub は本当にところ、それほどトップ5に近いというわけではない。しかし彼の業績は、ここで言及するに値する。
さて、今週の記事を終える前に、一つ言っておくことがある。
オレは、このリストを作ると、アメリカ人が圧倒的になるということは十分すぎるほどわかっていた。でも、オレたちのゲームの歴史が続く限りにおいて、他でもないアメリカ合衆国とその市民とが、まさしくこのゲームを作り発展させてきたのだという考えには、なにがしかの正確さが含まれていると思う。
オレは、これを読んだときに、それがゲームが「かつてそうあったのを振り返ったもの」であって、現在のゲームを反映したものじゃないようになっているといいと思う。
時間はすべてのものを変える。それでも、オレたちは変化をきちんと知っておくためには、それがどこから来たかってことを忘れちゃならない。
この記事を楽しんでくれ。そしてもしオレの選んだメンバーに「同意できない」ってのであれば、自分で何かを書いてくれ。
良い週を。
当ページは、2ちゃんねるの卓上ゲーム板「MTG Sideboard Online 日本語版」スレッドに投稿された記事を、426(braingeyser-lj@infoseek.jp)がまとめたものです。